ずっと前からやってるブログBorn To Lose . Live To Winでは、遊び、大学、バンドなど色んな事を適当に綴ってます。ムサビ在学中の絵に関する記事はこちらのサイトにコピペして行こうと思います。大切だと思い書きとめても、遊び等の記事に埋もれ見返さないんじゃ意味ないからさw
2019/05/27投稿の記事
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すっかり夏みたいですね。まだ5月なのに連日30℃オーバー。湿気が少ないので夜はひんやり、なんだかニュージーランドを思い出すなあ。
さて、最近の出来事
5/22 三浦方面に釣りしに行きました。連日夏のようでしたが、この日だけ嵐!笑。でも夕方から晴れるとの予報だったので行ってきました。のりこさん、マーチくん、まりちゃん。みんなルアー釣り。
やっぱり嵐の後は釣れませんでした。唯一まりちゃんが、ムツの小さいの釣っただけ。
5/17,18,19は大学(武蔵美)のスクーリング。科目は絵画表現1。9:00~17:30 3日間 (吉祥寺校)
初日の午前中は前提講義の後、各クラスに分かれモチーフの組み立て、クロッキー。ちなみに絵画表現1は受講した学生85人。ほとんど絵画系の学生で、デザイン学科は僕だけでした。笑。そりゃそうですね、油絵学科の科目ですからね。
先生は三浦先生でした。前から先生の授業を受けたいと思っていたので、嬉しかったです。
具象を抽象化とでもいうのでしょうか。目に見えたまま描くのではなく、自分が感じるもの、自分に見えるもの(?)的なとかモチーフの存在を描く。線と面で描くというお題なのに、この世に線は存在しないとか、面的なものはあるかもしれないが、面もない。あるのは物質の存在。存在を表すには存在の周りの空間を描くという事なのだけど、空間とは文字通り空っぽのスペース。空気。無いものを描く。ものの存在は色んな角度から見るから本質が見えてくる。カメラ写真は一見、ものの存在を完璧に記録してるようだけど、1つの視点から見たに過ぎないから完璧では無い。そもそも写真のように絵を描くなら、写真でいいじゃんと先生は言う。では何故絵を描くのか。写真には映せない世界があるのではないか。自分がモチーフのどこに注目してどう感じるか、それには答えはないゴールもない。先生の言ってること分かる気がする一方で頭の上に「?」マークが100個くらい泳いでましたw。授業の後半は先生がソクラテスに見えて来たw。でも無いものや感じたもの、空気を描くというのは、僕が油絵を始めるきっかけになったモネのテーマだから、頑張って終わるまでに何か一つでも掴んで帰りたい。専門科目おそるべし。
哲学的な思考を持ちつつ、基本的には木炭を使ったデッサン。わけが分からず悩みつつも楽しかったです。まずはこれまでにデッサンで勉強して来た事をいったんぶっ壊しました。笑。先生曰く、完成度はそんなに重要視しないとの事です。どれだけ自分と向き合い、どれだけ追求したかを評価するとおっしゃってました。最終日、場合によってはクロッキーでもいいと。 素敵な先生( ^ω^ )
こういうの初めてにしてはよくできたと思います。満足です。講評会で三浦先生にも褒められました。というか、だいたいみんな褒められるんだけど。笑
よきよき( ^ω^ )
ちなみにこれは、抽象的ではあるけど具象画です。どんなに変化しようともモチーフがある以上、それは具象画なんだと教わりました。
最初はちんぷんかんぷんでしたが、色んな事を理解して多くの事を持ち帰ってこれました。空間とは、平面とは、線とは、物質とは、そもそもなぜ絵を描くのか、今後、絵を描いていくのにとても大切なことを学びました。例えば、「写真技術がこれだけ発達しているのに何故わざわざ絵を描くのか」という疑問が多少あったのですが、その答えが分かったし。三浦先生ありがとうございました。
最終日の講評会で先生がおっしゃってました。こう言う抽象表現は理解できない人には全く理解できなかったでしょう。(実際理解できず、見えたままを描くデッサンのような学生もいました)理解できなった人はさぞ辛かったでしょう。辛くてもう二度とやりたくないのでしたら、一生やる必要はありません。大学は4年間と言う短い期間で、多くの事を学べるようになっています。こんな技法もあるよ。こんな考えもあるよ。色々提示します。その中で自分にあったものがあれば、その道を追求していけばいいのです。大学で教わった事を全て自分のものにする必要はない。もし4年間勉強した中で自分に合ったものに出会えなかったとしたら、それはそれでいいのです。大学には自分に合ったものがなかったと言うことがわかったのだから。
「絵」と言うものの正体がわかり始めた49歳のスクーリングでした。w
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